2024/06/05 (WED)

チャプレンより聖書のことば

ある安息日に、イエスが麦畑を通って行かれると、弟子たちは歩きながら麦の穂を摘み始めた。ファリサイ派の人々がイエスに、「御覧なさい。なぜ、彼らは安息日にしてはならないことをするのか」と言った。イエスは言われた。「ダビデが、自分も供の者たちも、食べ物がなくて空腹だったときに何をしたか、一度も読んだことがないのか。アビアタルが大祭司であったとき、ダビデは神の家に入り、祭司のほかにはだれも食べてはならない供えのパンを食べ、一緒にいた者たちにも与えたではないか。」そして更に言われた。「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある。」
(マルコによる福音書第2章23~28節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン 倉澤一太郎
安息日は、天地創造の際に神が6日間働かれて作業を完成された後に休まれた休日に由来し、モーセの十戒では「安息日を心に留め、これを聖別せよ」と定められています。老若男女を問わず、また自由民・奴隷・寄留者を問わず、さらには家畜も含めて「いかなる仕事もしてはならない」とされ、違反者は死刑に処せられるとも定められていました。禁止されている仕事内容も神の創造の作業に由来し、光を生み出すことに繋がるので火を起こすことは禁止。また、神が人間を創造する際の土を捏ねる作業と同じなのでパンを作るための小麦粉を捏ねる作業が、さらに拡大して調理作業も禁止になりました。現在に至ってもスイッチを押した時に火花が散る可能性から電気機器のスイッチを押すことが禁止されています。一方で安息日の開始前から火が点いていたり、スイッチが既に入っていたりする場合は使用が許されるように、禁止をかいくぐる抜け道もあるようです。

今回の聖書個所では弟子たちの麦の穂を摘んで食べるための殻を揉む行為が、安息日に禁止された神の創造の仕事に抵触しているとして、ファリサイ派は非難したのでしょう。それに対してイエスは安息日に空腹を満たすことは律法で禁止されていないし、ダビデにいたっては聖別されたパンを食べたと答えられ、神は人のために安息日を定められたのであり、安息日のために人があるのではないと諭されます。イエスの答えは時代を考えれば驚くべき考え方です。古代の多くの宗教では、神は人間を自分たちに奉仕する奴隷として創造したとする神話が多く見られ、それら宗教の祝祭日には人間は神殿に詣でて神に奉仕することが求められており、我々がイメージする休日からは程遠いものでした。ユダヤ人たちも、安息日とはあらゆる仕事を休むことを通して神に奉仕する日として守っていたのでしょう。その意味でイエスが語られる神は私たち人間に「休め」と言われる神なのです。
イエスは人間が幸せに生きるために神は掟を定められた。神は定期的に休息をとることが人間には必要なことをご存じなのだ。ならば、どのように安息日を守ることが神の意志に本当に適うことになるのか、よく考えて選ばなくてはいけないと教えられたのでしょう。

2024年6月5日

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