2026/02/02 (MON)

チャプレンより聖書のことば

さて、イエスは悪魔から試みを受けるため、霊に導かれて荒れ野に行かれた。そして四十日四十夜、断食した後、空腹を覚えられた。すると、試みる者が近づいて来てイエスに言った。「神の子なら、これらの石がパンになるように命じたらどうだ。」イエスはお答えになった。
「『人はパンだけで生きるものではなく、神の口から出る一つ一つの言葉によって生きる』と書いてある。」
次に、悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の端に立たせて、言った。「神の子なら、飛び降りたらどうだ。
『神があなたのために天使たちに命じると、彼らはあなたを両手で支え、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてある。」イエスは言われた。「『あなたの神である主を試してはならない』とも書いてある。」
さらに、悪魔はイエスを非常に高い山に連れて行き、世のすべての国々とその栄華を見せて、言った。「もし、ひれ伏して私を拝むなら、これを全部与えよう。」すると、イエスは言われた。「退け、サタン。『あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ』と書いてある。」そこで、悪魔は離れ去った。すると、天使たちが近づいて来て、イエスに仕えた。 
(マタイによる福音書第4章1~11節)

立教新座中学校・高等学校チャプレン 倉澤 一太郎
イエスは宣教の開始前にヨハネから洗礼を受けられた後、荒れ野で悪魔からの誘惑を受けられますが、悪魔の誘惑自体が聖霊=神から与えられた試練であったことは驚きです。神からイエスに託された使命は人類の救済でしたので、悪魔からの誘惑を克服することは人類を救うために必要なことでした。誘惑は空腹という生命を脅かす状態を解決したいという本能的な欲求、自分が特別な存在であると神に認められたいという自己肯定の欲求、権力や財力などを手にしたいという成功の欲求とまとめることも出来ますが、それらは極めて個人的な欲求であり、神が目指す人類全体を救うことを阻む程の誘惑とは言い切れないようにも考えます。おそらくはこの3つの誘惑に共通する解決の手段こそが救いを阻む壁となるのだと考えます。石をパンにすることによって自分だけではなく、全人類を飢えから救う。大変素晴らしい手段に聞こえますが、イエス個人に頼り切る手段であり、イエスがこの世を去られたらどうなるか。さらに世界の飢餓は食糧生産の不足だけなのか。飢餓は欲得によって食糧を独占する者がいる限り解決しません。また、神に選ばれた特別な存在になりたいとの願望も理解し易い感情ですが、神を試すとなればどうでしょう。現在の私たちを悩ませる自然災害や公害、原発問題などは神を試すことを繰り返してきた結果とも言えます。さらに権力や財力を獲得して自分の思うままに人々を支配することでこの世を正しくすることも、多くの指導者が望んだ夢ですが、失敗に終わったことの実例は数えきれません。安易な手段は効果的に思えるが故に大変魅力的です。ですが人類を滅びへと進ませている様々な問題の解決に安易な手段などはありません。安易な手段では解決にはならないどころか、問題をさらに悪化・加速させかねません。

イエスは宣教の旅において神からのメッセージと共に人々に安易ではない解決手段を教え見せて下さいましたが、それらは全て私たちにも真似ができ、誰かに頼らずとも実践し続けることが可能な方法でした。荒れ野での誘惑は安易な手段に頼らない真の心の強さを確かめるために神が備えられた試練でしたが、私たちにも出来るという希望を与えるための模範だったのです。


2026年2月2日

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